京都地方裁判所 昭和50年(モ)1945号 決定 1976年1月16日
申立人
岩田由喜子
外六七名
代理人
浅岡美恵
外三〇名
主文
一 申立人らの本件忌避申立を却下する。
二 申立費用は申立人らの負担とする。
理由
一申立の趣旨
当庁昭和四八年(ワ)第三五六号損害賠償請求事件について裁判官菊地博、同小北陽三、同佐々木寅男、同亀川清長に対する忌避は理由があるとの裁判を求める。
二申立の理由
本件申立の理由の要旨は次のとおりである。
1 申立人らは当庁昭和四八年(ワ)第三五六号損害賠償請求事件(以下本件訴訟という。)の原告であり、現在同事件の審理は裁判長裁判官菊地博、裁判官小北陽三、同佐々木寅男、補充裁判官亀川清長(以下本件裁判官らという。)の合議体によつて担当されている。ところで、本件訴訟の被告武田薬品工業株式会社、同チバガイギー株式会社は昭和五〇年八月一五日付で、同田辺製薬株式会社は同年九月一九日付で、いずれも原告らスモン病患者の診療録(カルテ)の送付を求めることを内容とする文書送付嘱託を申請したところ、本件裁判官らのうち、裁判長裁判官菊地博、裁判官佐々木寅男、同亀川清長は同年一〇月三〇日付で右文書送付嘱託の申請をいずれも採用する旨決定した(以下本件決定という。)
2 ところで、本件訴訟を担当していた裁判所は、従来一貫して右文書送付嘱託に関する原告ら代理人の意見陳述を聞き終えたうえで採否の決定をするとの態度をとり続けていたばかりでなく、原告らの個別損害の主張、立証がなされたうえで、右文書送付嘱託について個別的にその必要性を判断するとの態度を示していた。さらに、右裁判所は、原告ら代理人の右文書送付嘱託に関する意見陳述の未了部分について、なお陳述の機会を与えることを法廷の場で約束していたのである。しかるに、本件決定は原告ら代理人の意見陳述を聞き終らない段階で期日外に突如としてなされたものであり、これは前記約束を一方的に破り、前述した右裁判所の従来の審理態度に対する原告らの信頼を裏切つたものである。また、右裁判所が原告ら代理人の意見を充分に聞くこともなくカルテの取寄に関する本件決定を行なつたことは、根治療法のないスモン病患者と医師との信頼関係を破壊し、医師の患者に対する治療そのものを奪う行為でもあるといわなければならない。このように、本件決定は手続的公正を著しく欠如したものというべきである。
なお、忌避原因につき、裁判官が当事者または事件と特殊な関係にあることのみを挙げ、訴訟行為、訴訟手続上の措置の適否に関することは忌避原因にならないという説もあるが、忌避原因が右に限定されなければならない理由は全くない。訴訟手続上の措置に関するものであつても、訴訟法規の定めるところから顕著に違反し、または法規上与えられた裁量の範囲を著しく逸脱するなど、以後当該裁判官の職務執行の公正に信頼できないとの当事者の懸念が、客観的、合理的にみて相当である場合には、右のような措置も忌避原因に該当するといわなければならない。そして、本件決定は前記の如き状況、経過からして、右の忌避原因たる訴訟手続上の措置に該当するというべきでる。
3 さらに、本件決定が行なわれた後、原告ら代理人が口頭弁論において本件裁判官らに対して同決定に至る経過についての説明を再三求めたにもかかわらず、これに対して全く答えようとしなかつた。ところが、裁判長裁判官菊地博は既に昭和五〇年一一月一九日付新聞紙上においては本件決定をめぐる裁判所の見解を裁判長談話の形で明らかにしているのである。しかも、右裁判長談話において、「双方の意向は十分聞いた」とか、「書面はいくら待つても出ない」と述べているが、前記のとおり、裁判所は原告ら代理人に対し引続き文書送付嘱託に関する意見陳述の機会を与えると約束しながら、これを一方的に破棄したものであり、また、原告ら代理人に対して書面の提出を要求した事実もないから、右裁判長談話は事実を歪曲したものであるといわなければならない。このように、本件裁判官らは本件決定の公正さへの疑念を晴らすべき本来の場所である公判廷において一切発言せず、しかも、唯一の見解公表である新聞談話の内容は事実を歪曲したものである。
また、右裁判長談話において「カルテの必要、不必要で審理を長びかせるより……」とか、「こうした問題でいたずらに時間を空費することは……」と述べているが、これは、文書送付嘱託に関する原告ら代理人の意見陳述を聞くに値しないもので、無益に審理を長びかせるものであるとの予断を当初から抱いていたものといわなければならない。さらに、右裁判長談話において「医療過誤の裁判(医療事件)でカルテ取寄は当然である」と述べているが、これは、本件訴訟が当該薬によつてスモン病が発生したこと及び当該薬の製造販売の過失を争点とする薬害訴訟であるのに、これを医師の医療行為の過失を争点とする医療過誤訴訟と同一視する予断と偏見に支配されて本件決定を行なつたことを示すものであつて、著しく不公正な審理であることは明らかである。
4 本件訴訟の審理は、昭和五〇年四月一八日の第一六回口頭弁論期日以来、裁判長裁判官菊地博、裁判官小北陽三、同佐々木寅男が担当していたが、同年九月一九日の第一回口頭弁論期日からは裁判官亀川清長が補充裁判官として審理に立会うようになつた。ところが、その直後の同年一〇月一七日の第二〇回口頭弁論期日から裁判官小北陽三は審理に関与せず、補充裁判官であつた裁判官亀川清長が合議体の正式構成員となつて菊地裁判官、佐々木裁判官とともに審理を担当するに至つた、そして、本件決定は菊地、佐々木、亀川の各裁判官によつてなされた。ところが同年一一月二一日の第二一回口頭弁論期日になると再び裁判官小北陽三が合議体の構成員となり、裁判官亀川清長は補充裁判官となつた旨原告らに告げられたのである。そして、右合議体の構成員の変更に関する第二一回口頭弁論期日の釈明によれば、裁判官小北陽三が前記のとおり一時構成員から離脱したのは、同裁判官が出張のためであつたとのことである。
ところで、補充裁判官制度(裁判所法七八条)は、審理の長期化が予想される事件について、合議体の構成員たる裁判官が異動等によつて以後審理に関与することができなくなつた場合に、従来審理に立会つていた合議体の構成員以外の裁判官を加入させることにより、弁論の更新手続、公判手続の更新を行なう煩を避けるために認められている制度である。つまり、直接主義と審理の迅速性という二つの要請を調和させるために特に例外的に認められた制度ということができる。したがつて、裁判所法七八条にいう「審理に関与することができなくなつた場合」とは、裁判所の構成の安定性と離脱裁判官の不加入という面からみて、審理に関与できない期間が相当程度に継続する場合であることを意味するといわなければならない。にもかかわらず、裁判官小北陽三が出張のため審理に関与することができないという一時的な理由によつて、同裁判官を合議体の構成員からはずし、補充裁判官亀川清長を合議体の構成員に加入させたのは、補充裁判官制度の恣意的な濫用であつて違法であるといわなければならない。
さらに、本件訴訟の第二一回口頭弁論期日において、裁判官亀川清長を再び補充裁判官とした。ところで、補充裁判官は合議体の正式構成員として加入した以上、完全に合議体の一員となり、当該事件について審理及び裁判をする権利を有し、義務を負うことになる。そして、その地位はその裁判官自身に審理に関与できない事由が発生しない限り奪われることはない。したがつて、仮に差支えのため構成員から離脱した裁判官が、後にその差支えの原因が消滅し、再び審理に関与できる状態になつたとしても、ひとたび構成員となつた補充裁判官は、その席を譲るるべきものではなく、そのまま合議体にとどまるのである。これは、裁判所の構成の安定性、裁判官の独立の点からはもちろん、裁判を受ける国民の側からすれば、以前合議体から離脱した裁判官が再度加入することを認めるのは、心証の連続が分断され、直接主義にも反することとなるからである。それゆえ、第二一回口頭弁論期日における裁判所の構成の変更は、離脱裁判官の再加入を認めたもので違法である。
このように、裁判所の構成の違法な変更が、原告野田文子本人尋問や本件決定のなされたという、いわば本件訴訟にとつてきわめて重要な時期に行なわれたことは、本件裁判官らの本件訴訟の審理に対する不真面目な態度の象徴であるといわなければならず、本件裁判官らに本件裁判を公正に行なうことを期待することは到底できない。
また、裁判官小北陽三が第二〇回口頭弁論の審理に関与できなかつた理由は、前記のとおり、出張のためということであつたが、本件決定がなされた昭和五〇年一〇月三〇日には既に出張を終えて審理に関与できる状態に復していた。このように、小北裁判官が合議体から離脱したという変則状態にある時期を選んで、あえて本件決定に踏み切つたことに対しては重大な疑惑を抱かざるをえないものである。
5 以上のように、違法な審理をする本件裁判官らには不公正な裁判をなすおそれがあるので、本件忌避の申立をする。
三当裁判所の判断
1 本件忌避申立事件記録及び本件訴訟の記録によれば、申立の理由1の事実が認められる。
2 ところで、裁判官の忌避の制度は、裁判官がその担当する事件の当事者と特別な関係にあるとか、訴訟手続外においてすでに事件につき一定の判断を形成しているとかの、当該事件の手続外の要因により、当該裁判官によつては、その事件について公平で客観性のある審判を期待することができない場合にに、当該裁判官をその事件の審判から排除し、裁判の公正及び信頼を確保することを目的とするものであるから、その手続内における審理の方法、態度などは、それがもつぱら訴訟手続外の要因に左右されて行なわれたものと認めるべき特段の事由が存する場合でない限り忌避の原因とはなしえないのであり、これらに対する不服は上訴などによつて救済を求めるべきであるといわなければならない(最高裁判所昭和四七年一一月一六日決定・刑集二六巻九号五一五頁、同昭和四八年一〇月八日決定・刑集二七巻九号一四一五頁参照)。
いまこれを本件についてみるに、申立人らの主張する忌避原因のうち、裁判所が文書送付嘱託に関する原告ら代理人の意見陳述を十分聞かないで本件決定をしたとの点については、仮にそうであつたとしても、そのような理由は訴訟手続内における裁判官の審理の方法、態度に対する不服を主張するものに他ならないから、それ自体で直ちに忌避原因となり得ないばかりでなく、本件記録の疎甲第三号証によれば、菊地裁判長が本件訴訟の第二〇回口頭弁論期日の終了際に、カルテの取寄に関して、「この次、時間があれば、また発言の機会を与えますけれども、一応書面で出していただけませんか、双方とも。」と発言している事実が認められるが、右発言は、原告ら代理人に発言の機会が与えられるとの期待を抱かせた面があるとしても、裁判所として原告ら代理人に法廷で意見陳述の機会を与えることを確約したと解されるものでもない。その他、本件決定がなされるにつき、その審理方法、態度がもつぱら訴訟手続外の要因に左右されて行なわれたものと解すべき特段の事由も認められない。さらにカルテの取寄に関する本件決定がなされたことによつて、スモン病患者と医師との信頼関係を破壊し、医師の患者に対する治療を奪う結果を招来するか否かの問題と、本件裁判官らが訴訟手続外の要因によつて本件訴訟につき不公正な裁判をするおそれがあるか否かとは直接の関連性を持つものではなく、本件の忌避原因を判断するにあたつて考慮すべき事項に該当するものではない。したがつて、申立人らの右主張は理由がない。
3 さらに、申立人らは、本件決定がなされた後の本件訴訟の口頭弁論において、原告ら代理人が裁判所に対して同決定に至る経過の説明を求めたにもかかわらず、これに対して全く答えなかつたのに、それに先立ち新聞紙上では裁判長談話の形で見解を発表し、しかも、発表された見解は事実を歪曲し、予断と偏見に支配された内容のものであるから忌避原因に該当すると主張する。
なるほど、本件記録によれば、昭和五〇年一一月一九日付の各新聞紙上に申立人ら主張の文言の談話が掲載されている事実が認められるけれども、右談話はいずれも、原告らが同月一八日菊地裁判長ら担当三裁判官に回避勧告をした旨の報道をした末尾に菊地裁判長の話として掲載されているもので、その内容も表現がまちまちで菊地裁判長がいわゆる記者会見をして発言したものとは到底窺えないし、発言内容が正確に報道されているのかどうか疑問なしとしないが、仮りに右記事のとおりの発言がなされたとしても、それは菊地裁判長らが回避勧告を受けるべきいわれのないことを説明すると共に、本件決定に至る経過の一端及び本件訴訟の審理方針の一部に関する同裁判長の見解が談話の形で明らかにされたものにすぎず、右談話の内容は原告ら代理人の本件決定に至る経過に対する認識及び原告ら代理人の予定していた審理方針と相違していたというだけであり、文書としていささか適切さを欠く憾みがあるとしても右談話の内容をもつて直ちに忌避の原因となしうるものではない。なお、本来裁判所は証拠の採否の決定につき当事者に対して決定に至る経過、理由を説明すべき法的義務を負うものではないから、本件訴訟の口頭弁論において、原告ら代理人から本件決定に至る経過の説明を求められたからといつて、裁判所がこれに答えなければならないものではなく、また、新聞記者に対して説明したからといつて、守秘義務の観点から問題を生ずる場合があり得ることは別として、何ら法的に非難されるべきものでもない。したがつて、申立人らの右主張も理由がない。
4 さらに、本件訴訟における補充裁判官制度の運用に関して忌避原因が存するか否かにつき検討する。
本件訴訟の記録によれば、本件訴訟の審理は昭和五〇年四月一八日の第一六回口頭弁論期日以来菊地、小北、佐々木の各裁判官が担当していたが、同年九月一九日の第一九回口頭弁論期日からは亀川裁判官が補充裁判官として審理に立会うようになつたこと、同年一〇月一七日の第二〇回口頭弁論期日から小北裁判官が構成員から離脱し、それまで補充裁判官であつた亀川裁判官が合議体の構成員として加入したこと、同年一一月二一日の第二一回口頭弁論期日には小北裁判官が再び合議体の構成員となり、亀川裁判官は補充裁判官となつたことが認められる。そして、従来合議体の構成員であつた小北裁判官が構成員から離脱し、補充裁判官であつた亀川裁判官が正式構成員となつた原因がいずずれにあるかは、本件記録及び本件訴訟の記録によるも全く不明である。
ところで、補充裁判官がいかなる場合に合議体の構成員となりうるかの点につき裁判所法七八条は単に「審理中に合議体の裁判官が審理に関与することができなくなつた場合」と規定しているにすぎないが、裁判所法が補充裁判官制度を設置し、裁判所の構成の安定をはかろうとした趣旨からすれば、合議体の裁判官が審理に関与することができなくなつた事情が相当期間継続する場合であることを要するというべきところ、本件の右構成員の変動の原因が、申立人らの主張のとおり、小北裁判官の出張という一時的差支えによるものであるとすれば、右原因により亀川裁判官を合議体の構成員に加入させたことは、前記補充裁判官制度の趣旨からみて必ずしも妥当であるとはいえない面がある。しかし、仮に、本件訴訟における補充裁判官制度の運用につき妥当を欠く面があつたとしても、その故に本件裁判官らについて公正な裁判を期待しえないと認めるに足りる資料は存在しない。したがつて、この点に関する申立人らの主張は理由がない。
また、小北裁判官がその後再び合議体の構成員となり、亀川裁判官が補充裁判官となつた点につき、申立人らは合議体の構成員を離脱した裁判官の再加入を認めたもので違法であると主張する。確かに、前記のような補充裁判官制度の趣旨に照らせば、一度合議体の構成員を離脱した裁判官が再加入し、構成員となつた補充裁判官が再び構成員でなくなることは望ましい運用であるとは言えないであろう。しかし、合議体の構成員が変更したものとして弁論更新の手続を要することを別にすれば、構成員の交代をもつて直ちに訴訟手続が違法になるとは解し難い。
なお、申立人らは右の如き裁判所の構成の変更が原告野田文子本人尋問及び本件決定がなされた期間になされたことをもつて、本件裁判官の本件訴訟の審理に対する不真目な態度の象徴であると主張し、あるいは、小北裁判官が合議体から離脱した時期にあえて本件決定に踏み切つたことに対しては重大な疑惑があると主張する。しかし、本件記録及び本件訴訟の記録を精査するも申立人らの主張に沿う事情は認められない。
5 よつて、本件忌避の申立は理由がないから、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。
(上田次郎 孕石孟則 安原清蔵)